歩く幽霊

元気のあるときに書くよ

「マギ」が終わってしまった話

「マギ」の最終巻(第37巻)を買った。

 

  思えば読み始めたのはアニメ1期が始まって間もなく(アニメ放送開始は2012年秋らしい)なので,5年間追っていた作品である。
僕が追っていた作品が完結を迎えることは少ないため,思ったことを書き連ねておく。(きちんと考証を重ねたり原作をきっちり読み返してまとめた感想ではない。)

 

  マギの少年漫画としてのピークはアニメ1期第2クールで描かれたバルバッド編だったように思う。同じ貧民街に生まれたものの片や王の妾の子であったアリババと,貧民の生まれのカシムの友情と嫉妬,憧憬が哀しい対立を生み出してしまった。とんでもなく僕好みのクソエモ関係で,腐ってないのに腐女子みたいになってしまった。アニメ版は特に最終回あたりの死んだ人たちのルフが大好きな人たちのもとに帰ってくるシーンでsupercellのThe Bravelyが流れてきてボロボロ泣いてしまった。

 

  それ以降,2期で描かれたマグノシュタット編なども個人的にかなり好きなのだが,このあたりから原作人気もアニメ人気も失速してきてしまったように感じる。(しかもサンデー自体迷走期真っ只中でポケモンと合体するポケモン漫画などがあったように記憶している。)
また,マグノシュタット編以降キャラクター同士の直接のぶつかり合いよりも,それぞれの陣営同士の対立が多くなった。それに付随して観念的な話(国家の主権者とはどうあるべきかとか,人間はどう生きるべきかとか)が占めるウェイトが大きくなり,少年漫画としてはかなり難しい作品になってしまったと思う。

 

  僕自身読んでいてもだんだんよくわからなくなっていたところはあったし,アルマトラン編〜最終決戦も「おもしろい!」と思って読んでいるというよりも登場人物たちの行末と大高忍先生が何を描きたかったのかを知りたくて読んでいた。

 

  時間のあるときにまた全巻読み返すつもりだが(時間があるかは別として),僕はマギは人間賛歌の最たるものであると思っている。
何度間違えても,壁にぶつかっても,大事な人たちを喪っても,それでもキャラクターたちは己の正しいと信じるものを胸に歩き続ける。その結末はどうであれ,その姿は単純に美しい。人が正しい方向に進み続ける限り,そこに善悪もなにもないとする作品のメッセージが好きだ。

 

  どれだけ巻数を積み重ねてもその根幹はブレることはなく,だからこそ誰もマギの話をしなくなっても僕は読み続けられたのだと思う。「マギ」が見せてくれる光景に,僕はいつも人の心の光を見ていた。

 

  きっと,アラジンとアリババはこれからも未知の世界を求め冒険を続けるのだろう。
いつかまた彼らの物語を垣間見ることができる日まで(具体的にはアニメ3期が決まるまで),僕もまたしっかり前を向いて生きていきたいと思う。

 

  人生という冒険は続く。